Der Mann des Wesens

「存在の男」展

  • 第1弾 2018年4月~6月 関口存男と三修社
  • 第2弾 2018年7月~9月 関口存男と演劇
  • 第3弾 2018年10月~12月 関口存男と社会活動
  • 第4弾 2019年1月~3月 家庭人としての関口存男

アクセス
GLOCAL CAFE 青山
東京都港区北青山2-10-29 日昭第二ビル 1F
東京メトロ銀座線 外苑前駅 3番出口より
徒歩5分 [ACCESS]

第1弾 2018年4月~6月関口存男と三修社

Tsugio Sekiguchi und der Sanshusha Verlag

2018年は、関口存男没後60年にあたります。
小社が「ドイツ語の三修社」と呼ばれるその源には、稀代のドイツ語学者関口存男の存在がありました。
これから始まる全4回の展示は、既に関口のことをご存知の方には新たな一面を発見する機会に、初めて関口を知ったという方にはアイロニカルでユーモア溢れる関口存男の魅力を十分に知っていただけることを目指しています。

第1弾は関口存男の愛用品、手書きの原稿、そして雑誌や参考書に使われたイラスト・カットの原画などから、三修社との関わりをご紹介します。

第2弾 2018年7月~9月 関口存男と演劇

Tsugio Sekiguchi und seine dramaturgischen Aktivitäten

関口存男が「踏路社」という劇団の創立メンバーの一人であったこと、
新劇黎明期に重要な役割を果たしたこと、
舞台や映画に役者として登場もしていたことは、
もしかするとあまり知られていないかもしれません。

第2弾となる今回は、
「関口存男から見た演劇」、「関口存男がかかわった演劇」そして
「関口存男にとっての演劇」に焦点をあて、
手書きの原稿、台本、演劇に関する著作、戯曲の翻訳などを展示しています。

演劇人としての関口存男の世界をお楽しみください。

第3弾 2018年10~12月 関口存男と社会活動

Tsugio Sekiguchi und sein Beitrag zur Gesellschaft

 昭和20年3月、関口存男とその家族は東京下落合から長野県妻籠(現在の南木曾町)に疎開しました。妻籠に行ったのは偶然ではありません。社会活動家の勝野金政と、社会学者であり日光書院(出版社)社長・米林富男の出会いがあり、米林が、日光書院に著者として関わっていた関口存男に妻籠への疎開を勧めたといういきさつがありました。二人は、島崎藤村『夜明け前』の世界から木曾の人々をなんとか救うには教育と産業が必要だと考えていたのです。関口は、終戦後も妻籠に滞在して演劇指導にあたり、当地の青年たちは演劇活動や勉強会を通じて社会問題の本質の捉え方、自己表現方法などを学んでいきました。

 「争え、但し怒るべからず」
  これは関口存男による戯曲のタイトルです。まさにこれを若い人たちに伝えようとしたのでしょう。

 関口存男らを指導者として公民館運動が活発化し、昭和21年にこの地に設立された妻籠公民館は、戦後初の全国公民館表彰を受けました。
 今回の展示では、主に妻籠での社会活動についてご紹介します。

第4弾 2019年1月~3月家庭人としての関口存男

Tsugio Sekiguchi im Kreis der Familie

1894(明治27)年、姫路で生まれた関口存男は、大阪陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校本科を経て、1913(大正2)年、陸軍士官学校に入学します。卒業する頃に胸膜炎を患い、「陸軍大学はどうせ体格でペケにきまっている、陸軍大学が駄目なら軍人をやったって仕様がない……こう思って、二十一歳で方向転換をしたのです」(「わたしはどういう風にして独逸語をやってきたか?」より抜粋)。
1916(大正5)年、21歳で結婚、そして秋には上智大学哲学科に入学しました。このころから、精力的に演劇活動、翻訳活動に邁進します。1922(大正11)年、27歳の時に法政大学予科講師になり、ここで「ドイツ語の関口先生」としてのキャリアが始まります。とはいえ、演劇の世界から遠ざかったわけではなく、学生演劇の指導や、東山千栄子の舞台(1934(昭和9)年)演出をするなど、多彩な活動は続けられました。
対外的には八面六臂の活躍をし、研究生活では、一分一秒を惜しみ、一心不乱に取り組んだ関口存男ですが、彼は幼い頃に姉と弟を亡くし、自身の四女を11歳で失い、その後生まれた四女に面差しが似ていたという孫も若くして亡くすという経験をしています。死の影は生涯、頭から離れなかったようです。

彼の幼少時代、そして家庭での様子はどのようなものだったのでしょうか。息子として、夫として、父として、祖父として…、関口存男の知られざる素顔を、書簡や愛用品、そして数々の写真を縁(よすが)にご紹介いたします。