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三修社『ほくたちの英語』刊行記念 黒田龍之助先生 講演会

ことばへの異常は愛情〜または私は如何にして大学を辞めて語学するようになったか〜

講演録(2010年1月28日 三省堂書店神保町本店)

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「院生時代の経験から、初の出版へ」

 ……こう見ましても、4年間まともに勉強した大学はひとつもないんです。ひどいもんですよね。ちなみに学部に編入して在学しながら大学院を受けるのは僕の次の年から禁止になりまして。これはまあ僕のせいだと思いますけど。……僕もよくないけれどもその時の先生もよくないと思います(笑)。

 結果的にわたしは大学を二つ中退しています。池袋の大学を中退し、本郷の大学も学部は中退です。中退ってのは二つぐらいあると箔がつくものですし、それからのちに大学教師になった時に学生から「この単位がないと卒業できないんです」とか言われた時に、聞く耳を持たないといいますか、「なんだ、君、大学に長くいるのも悪くないよ」なんて無責任なことを言うだけの実力もつくわけなんですね(笑)。

 6年かけて大学の学部をあちこち移動したんですけど、大学院は最短で出ました。すなわち修士課程を2年、博士課程を3年で卒業しました。ただ博士論文は書いてないんですよね。当時の文学部によくあるパターンだったんですけど、おかげで時間がいっぱいありましたから勉強はたくさんできたと思います。

 当時の僕は、四谷の大学の頃からロシア語の古文を専門にしていました。それが先生から嫌われる理由だったんですけれども……。通訳のバイトなんかやってるくせに、ふだんは古文書を読んでるような、すごく変な子だと思われてて……まあそれは正しいんですけどね。そんなわけで古い文献とにらめっこしてましたね。

 なんで古いものに興味を持ったのかというと、僕自身の興味の方向として大事だと思うんですけど、「何かを遡ることによって全体を捉えたい」と考えていたからです。

 これは史学科にいた経験もあるかもしれません。それから「スラブ全体に専門を広げたい」という気持ちもありました。とにかくいろいろと勉強していく中で、「古いものを学びたい!」と思い、学部の卒業論文も古い時代のもの、修士論文も古い時代のものをやっていました。で、そういうものから博士論文へという道が当時ないわけでもなかったのですが、それはあんまりやる気はなかったですね。

 博士課程くらいで結婚していたもので。ある時、大学院生みんな集められて、先生から一人ひとり「君は博士論文を書く予定があるのか?」と訊かれまして、みんな「書きます」と言っていたんですけど、「黒田君は?」と訊かれて「僕は独自の道を歩んでまいります」と言って。これは、書かない、と言ったつもりだったんですが。翌日から「あいつは結婚したから奥さんのヒモになるんだ」という噂が流れました(笑)。当時カミさんは大学の助手でしたからね。まあヒモになる気はありませんでしたが、論文を書く気がなかったのは確かです。

 修士論文を書いた後に博士論文を発表するのですが、それを書く予定もなく、時間もいっぱいあったので、じゃあ何をやっていたか、というと、ひとつは、自分で勉強をしようと思って。ここら辺からウクライナ語とベラルーシ語をやるようになりました。当時は教科書も何も無くて、一人で本を買ってきてコツコツ始めた感じでしたね。

 ちょうどその頃、僕の指導教官だった先生が北海道に移ってしまって、僕はなんか捨て子みたいな感じでとにかくやりたい放題だったんですね。だからもう、一人で「僕はこれでいいんです」みたいに思ってやっていました。その頃の経験が後に大学書林さんから出すウクライナ語とベラルーシ語の『基礎1500語』になるわけです。

 一番初めに大学書林の社長とお会いした時には、ある先生が紹介してくださったんですけれども、「ベラルーシ語の本を書きませんか?」と言われて、僕は「その前にウクライナ語を書きたい」と言ったら、いいでしょうと言われました。それで約束を果たして書いたのが、僕の一番初めの本です。こんなものを出してくれるありがたい会社はとても他に無い。僕は大学書林さんに非常に感謝をしているところです。えー、そのような深い勇気を三修社さんにも持ってもらいたいなあと思っているんですけれども、なかなか難しいでしょうね?

「ロシア語の教師に」

 もうひとつ、博士課程の頃に何をしていたかというと、ロシア語の教師をやっていました。本格的にそれをやり始めたのは修士課程の早い頃からなのですが、なにせ学費を稼がないといけませんからね。二つの私立大学を中退しているのでいいかげんもう親に学費は頼めません。そこで、自分でなんとか出さなきゃ、ということで、企業研修と外国語学校みたいな所で教えるようになりました。

 一番初めに教えたのは21、22歳くらいの時で。大手町にあります、なんか、カルガモが来る大きな商社に教えに行ったことがあって、生徒のほうがわたしよりもはるかに歳も上で、はるかに額も広かったんですよね(笑)。そういう人を相手に僕みたいなのが教えていいのかなといつも思っていました。ネクタイ締めてきちっとして行ったつもりなのに入り口のところで警備員に捕まって、補導されかけたこともあったりとか、ロクな思い出が無いんですけれどもね(笑)。で、まああちこちで教えていまして。……実は今日この中にはその頃の教え子の方も、いらっしゃいます。

 他にも、実は大学でも、厚かましいことに博士課程の3年生で、もう教えていました。それは幕張にあります非常に良い私立の外国語大学で、そこの英語専攻の子たちにロシア語を教えるのが、大学で教えた一番初めでした。ここは本当に非常に良い大学で、僕はいい経験から始めることができたと思っています。今思うと博士課程の時は、水曜と金曜は教えに行って、火曜と木曜は授業を受けていましたね。だから、習ったり、教えたり、というのを繰り返していたわけです。

講演会の様子02_1

 ただ教師業だけではお金が足りないので、旧ソ連に出かけて通訳をやったり、日本に来るロシア人のアテンドをするような仕事もしていました。会議通訳なんかもやっていました。それからシンポジウムをこなしたりとか、今思うとよくやれたなあと思うんですが、厚かましくロシア語の仕事をしてましたね。だから、ロシア語ばっかりやってたんです。

 でも実はこの頃に他のスラブの言語についても勉強しています。

「外国語学習遍歴」

 ここら辺までの外国語学習について思い出しますと、英語とロシア語の次に勉強したのは、ラジオでフランス語を聴いていました。高校生の頃だったと思いますが、千葉大学の林田遼右先生のラジオ講座がかっこよくて、非常に憧れて、フランス語以上に先生に憧れてラジオ講座を聴いていました。

 僕は当時の先生とちょうど同い歳の時にロシア語講座を担当して、先生をもの凄く意識しました。先生のようにやりたいと思いました。たまたま白水社さんの雑誌(『ふらんす』2008年4月号)で先生と対談した時に、非常に良いアドバイスをいただき、おかげでうまくやれたと思っています。僕は林田先生に会ったときはすごく嬉しかったですねぇ、なんというか、憧れの人に会って、ひとりで興奮していましたね。

 ある人にこの事を話したら、それは僕だって興奮しちゃうよ、と言ったのがスペイン語の福嶌教隆先生でした。だから我々みんな、ラジオ講座を聴いていた世代が、今、教える側に回っているんだとつくづく思いましたね。

 それから他にも例えばドイツ語は池袋の大学で2年生の時に自由科目か何かでやり始めました。

 スラブで大事なところでは、大学2年生の時に10月くらいからセルビア語を学ぶようになりました。これは新宿の語学学校だったんですが、教えてくださったのは千野栄一先生とセルビア史の先生が二人で教えるという、ものすごく贅沢な授業でした。その授業が2年半くらい続いたかな。毎週通っていました。

 千野先生は厳しい方ですから授業中ロシア語なんか出たら絶対に怒られるんです。午前中、お昼まではロシア語の授業を受けて、そのあと夜にセルビア語の授業を受けるんですけど、絶対に間違えまい、絶対すきを作るまい、といつも緊張しながら歩いてました。動詞の変化を「ゴボリム、ゴボリシュ、ゴボリ」(動詞「話す」の活用形)とか言いながら新宿の地下道を歩いてたんですが、そこで変な勧誘の人に話しかけられてもセルビア語で「あんたと話なんかしたくありません!」というセリフがすらっと出てくるぐらい集中してました。

 そのセルビア人の先生のイントネーションは、今でも耳に甦るぐらいですが、それだけを元に勉強したので、その先生の教えた範囲内だったら僕のセルビア語は完璧だと言われました。それを超えると全然駄目です。

 ところがその後、そのセルビア語の授業が人数が少なくて潰れてしまいまして、どうしましょうってことになったら千野先生に「そりゃ君、チェコ語だよ!」と言われまして。それからチェコ語をやることになりまして。なんだかよくわからないうちに始めてそれからずっと勉強したという次第なんですね。ここら辺が僕の学部時代。

 ポーランド語は大学院に行ってから、博士課程の時に自らにノルマを課してやったんで、これまでとは事情が違うんですが。さる本にも書きましたけれども沼野充義先生にポーランド語を習って。入門書、『エクスプレス』のポーランド語をずっとやってたんですけれども。前期、10課ぐらいまで進んで、後期の授業をちょっと遅れて行ったら教室に誰もいなくて。先生に「黒田君しかいないんだけど……、やめませんか?」と言われて「いやです」って言ったら「わかりました。でも黒田君を相手に文法なんかやりませんからひとりでやってください。来週から講読やります」と言われて。コワコフスキの短編を読まされた思い出があります。

 とにかく、そうやって勉強してきました。本当にここまで振り返っただけでも随分バラバラですねぇ。どれひとつまともに勉強したことがない。途中から始まって、というものが多い気がします。

『ウクライナ語 基礎1500語』黒田龍之助著(大学書林)

『ウクライナ語 基礎1500語』
黒田龍之助著(大学書林)

『ウクライナ語 基礎1500語』黒田龍之助著(大学書林)

『ベラルーシ語 基礎1500語』
黒田龍之助著(大学書林)

『ふらんす』 2008年4月号<br>(白水社)

『ふらんす』 2008年4月号
(白水社)

『ウクライナ語 基礎1500語』黒田龍之助著(大学書林)

『CD エクスプレス ポーランド語』
石井哲士朗著(白水社)

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黒田龍之助

1964年東京都生まれ。上智大学卒業。東京大学大学院修了。東京工業大学助教授、明治大学助教授などを歴任し、ロシア語、英語、言語学を担当。現在は、専任を持たず且つ専攻言語のみにとらわれないという意味での「フリーランス」語学教師として、執筆と講演を中心に活動中。専門はスラヴ語学、言語学。2001〜2002年度NHKテレビ「ロシア語会話」、2008年度NHKラジオ「まいにちロシア語」講師。著書に『ぼくたちの英語』(三修社)、『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』『その他の外国語』(以上、現代書館)、『ロシア語のかたち』『ロシア語のしくみ』『ニューエクスプレス ロシア語』『にぎやかな外国語の世界』(以上、白水社)、『ウクライナ語 基礎1500語』『ベラルーシ語 基礎1500語』(以上、大学書林)、『ポケットいっぱいの外国語』(講談社)、『はじめての言語学』『世界の言語入門』(以上、講談社現代新書)、 『語学はやり直せる!』(角川oneテーマ21)がある。

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