みなさんは、どのようなイメージをお持ちでしょうか? ドイツ語学の権威であり、外国語教育者であり、新劇活動の実践者であり、翻訳家であり…。 到底一言では言い表すことのできない存在です。 「セキグチツギオって誰? 今初めて知った」という方もいらっしゃるかもしれません。
関口存男の世界へようこそ!
関口存男(せきぐち つぎお)
1894-1958
ドイツ語界の泰斗として名を馳せる「関口存男」。
学習参考書、教科書はもとより数多くの語学書、専門書を世に出す傍ら、ドイツ語学習雑誌を主宰し、NHKラジオドイツ語講座の講師を務め、法政大学、慶應義塾大学、早稲田大学など
で教鞭を執ってきました。
このような学者としての活動の他、ドイツのみならずフランス文学の翻訳も多く残っています。
また、20代には青山杉作らと劇団「踏路社」を創立、黎明期の新劇に多大な影響を与えました。
50代前半の3年余は疎開先の妻籠にて公民館運動に関わり、社会運動にも力を入れていました。
これ以外にも今後、まだまだいろいろな面が見えてくるかもしれません。
関口存男に関する資料、情報をお持ちの方は、ぜひ三修社までご一報ください。お待ちしています。
ここでは、1931年に創刊された関口存男主宰の雑誌「初級ドイツ語」(さまざまな出版社を経て、1952年1月号から三修社発行、現在休刊。)を始め、著書、翻訳書などをご紹介します。
國分功一郎 (こくぶん・こういちろう)
私は関口存男という人物に本当に心から惹かれている。 私は専門とする語学はフランス語であり、ドイツ語は独学で、『関口・初等ドイツ語講座』を勉強しただけである。だが、それによって本当に私はこの人の虜になった。その私が座右の銘としているのが、関口先生のこの言葉である。「世間が面白くない時は勉強にかぎる。失業の救済はどうするか知らないが個人の救済は勉強だ」。この言葉は全六巻の大著『独逸語大講座』の最終巻(『関口存男著作集ドイツ語学篇7』200頁)に記されている。同書は一九三一年(昭和六年)の刊行である。つまり、関口先生が「失業の救済」についてこう記した時、おそらく念頭にあったのは昭和恐慌で街にあふれた失業者たちの姿だった。先生は絶望を見ながらこの言葉を紡ぎ出されたと私は推測する。関口先生はいつもヒューモラスである。だが、先生はいつもつらい事実を目にしながらそうあり続けようとした。
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