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『サッカー審判員フェルティヒ氏の嘆き』著者トーマス・ブルスィヒ氏の来日特別インタビュー

更新日:2019.11.08

今年119日はベルリンの壁崩壊から30年です。このタイミングでゲーテ・インスティトゥート東京が招聘したドイツの作家・劇作家トーマス・ブルスィヒ氏にインタビューに応じていただきました。トーマス・ブルスィヒ氏は『太陽通り』『サッカー審判員フェルティヒ氏の嘆き』をはじめとして、壁崩壊前後の人々の様子を描き、Wende Roman(転換期の小説)の作家と呼ばれています。インタビュー日:2019115日)

協力・通訳:粂川麻里生(慶應義塾大学文学部教授)

協力:Goethe-Institut Tokyo


----112日に実施されたヨーロッパ文芸フェスティバルのパネルディスカッションで、壁崩壊当時の感想を聞かれ、「良い方向に進むと思いました」、続けて「ただ良い世の中で小説家は創作するのは簡単ではありません」と答えられていました。実際には壁崩壊後にデビューされ、創作活動をされています。まずはその動機などをお聞かせください。


はい、僕は歴史というものはその一番奥底では、良い方に向かうという歴史観を持っています。それは単純に「30年前よりも、今の方がいい世の中だ」という意味ではありません。世の中は、ありとあらゆる問題と困難、悲惨に満ち溢れています。本当は、「よくなっている」なんて、単純に言えるはずがありませんよね。ただ、それでも、文学を創作する以上は、そういう困難な状況の中からも、何かポジティブなものを見つけ出すことが必要だと思っているのです。それが創作ということではないでしょうか。何かを作り出すということは、とくに文学を作り出すということは、そういう意味の『創造』でなければならないと思います。だから、現実には嫌なことばかりに見える世の方でも、僕は作家として「ここから世の中が良くなる見方を探す」ことをし続けたいのです。そういう意味で、上のようなことを言ったのです。


壁の崩壊はそもそも当時まったく予期していなかったことで、その後は予期しないことがたくさん起こるのだろうとは思っていました。人々がその時点での状況に満足してない場合は、それを変えるということもありうるとも思っていました。ただ、その変わっていく状況というのは自分にとって非常にいい教師であろうと思っていて、そこから何かを学びとろうという気持ちでいました。


時として世界精神〈Weltgeist〉と自分が結びついていると感じるような時がありますが、1989年の頃というのはまさにそういう時期だと思いました。ロストック(ドイツの都市)のデモを描いた映画を観た時も若者が非常に解放に向けて希望に燃えた目をしている状況が描かれていましたが、それを観て、こういうことが起きているのだ、今はまさにこういう状況なのだ、こういう時にこの歴史的な状況と自分を結びつけて何かを経験することは非常に意義深いし大事なことだろうと思いました。


日本の方たちにその意味で何かを申し上げることあるとするならば、日本においても、そういう世界精神と結びつくような出来事や経験があるとしたら、それとどう向き合うかということを考えるのは意義深いことではないでしょうか。

世界精神と結びついているようなと、言いましたが、それは「時代の精神」とは違うことははっきりと申し上げたいと思います。時代の精神というのは時代ごとに、ただ時代が変わっていくということで、(世界精神は)変わっていくことで経験するのではなくて、もう一段階本質的な、歴史を動かしている、何か、より本質的なものだと思います。そういう精神と結びついているような感覚をまた人間は持ち得て、それを大事にしたいと自分は思いました。それはどこの人でも、日本の人でもそうなのではないでしょうか。

 

----壁崩壊から30年経って、当時何が起きていたかを知らない人々が増えてきました。日本の若い人は、あのような経験はなかなかできません。

 

たしかに壁崩壊は特別なことでした。その場で自分のこととして体験できたのは特権的なことで、自分でも凄いことだったと思います。ウクライナでのオレンジ革命(2004年)が起きた時にも行ってはみましたが、僕はそれを「わがこと」だとは思いませんでした。世界でいろいろなことが起きていても日本の若い人たちが自分のことと思わないのは当然です。ただ特別な出来事というのはこうすれば起こるというものでもないし、また今の日本の状況でも、こうすれば何か特別なことを感じられるレシピがあるわけでもないでしょうから、僕はあえて日本の若者に「慰め」を言おうとは思いません。ただ、半年後に何が起こっているかはわかりませんよね。それが歴史というものではないでしょうか。

 

----半年後に何が起こるかわからない、先が見えない状況で、創作活動を続けていますが、それについてはいかがでしょうか。

 

先が見えないというのはどんな書き手にとってもそうです。そのはずなのに、歴史的な出来事が起こってしまうと、みんな、こうでしかありえなかったかのように後から説明するようなことがありますが、作家はそういった説明もしません。そもそも自分は、どうやって作品ができるか、ということをなかなか説明もできないですし、自分でもわかっていないところもあります。ただ、それでもどうしてかわかりませんが、ある時にアイデアが下りてきて、そのアイデアがだんだん濃縮されていって、さらにそれを何年もかけて作り続けていき、また続ける中で一段といろいろなものが広がったり濃くなったりしていって、それを続けるうちに、何とか売り物になる小説が書けたときにはじめて僕や家族が何年間か生き延びることができる、売りものに値する小説ができます。そのことは、かなり自分でもよくわからない過程です。それは非常に複雑で秘密に満ちた過程で、また自分の創作の秘密みたいなものでもあり、いずれにしてもよくわかりません。それでも、漫然としていればよいわけではなく、日本的な比喩になるかどうかわかりませんが、弓を引き絞っているようなものです。弓の上手い人は、引き絞って、一番よいタイミングで離すのでしょう? しかし、弓を構えていなければその瞬間はやってきません。ですから弓は必ず手には持っていますが、どうやって自分が生きていくだけのことができる小説が書けるかは自分でもわかりません。

 

----最後に、読者の方へ、特に、壁崩壊を知らない若い読者へコメントをお願いします。

 

若い人にアピールすることを何か言わなければならないのでしたら、歴史の話から始めるべきではなかったかもしれませんね(笑い)。歴史は若い人には面白くないでしょう。僕も若い頃は歴史に興味を持っていませんでした。若い人に興味を持ってもらうためなら、むしろ若い頃どのように女の子を追いかけたか、どのように恋に悩んだかの話の方が良かったのではないでしょうか。ただ言えるのは、僕の小説のことを自分に関わることとして読み(『太陽通り』には若者たちが登場)、また、他の本にしろ、自分のこととして読めるのは素晴らしいことです。特に、他にはない、ある特別のことを書いてあるのが文学だと思いますので、たくさんの文学がある中で、これこそは自分に関係がある文学だと思われるものに出会えたならば、それはとても素敵なことです。そういう本を読んだ後、つまり、その本を見つけて、読み、そして読み終えて、本を閉じて顔を上げると、世界が変わって見えることがあります。僕はそういう感覚がとても大好きで、もし可能なら、僕の本を読んでみなさんがそういう感覚を持っていただけたらとても嬉しいです。

 


トーマス・ブルスィヒ Thomas BRUSSIG

1964年ベルリン(東)生まれの作家・劇作家。高校卒業後、建築作業の専門学校に通いながら、大学入学資格を取得。以後、美術館の受付、皿洗い、旅行ガイド、ホテルポーター、工場作業員、軍役、外国人ガイドを経て、大学で社会学を学ぶ。大学中退後、コンラート・ヴォルフ映画専門学校で劇作法、演出法を学ぶ。1991年、小説Wasserfarben(水の色)』 で作家としてデビュー。『Helden wie wir(僕ら英雄たち)』(1995)で国際的な名声を得た。他の代表作に『Am kürzeren Ende der Sonnenallee(太陽通り)』『Leben bis Männer(ピッチサイドの男)』『Schiedsrichter Fertig(サッカー審判員フェルティヒ氏の嘆き)』などがあり、ドイツ民主共和国(東ドイツ)時代を、サブカルチャーの視点からユーモアとともに描く作風で、東ドイツ出身のもっとも人気のある作家のひとり。その作品は30か国以上の言語に翻訳されている。映画、演劇、ミュージカルの領域でも高く評価され、1999年に映画「Sonnenallee(太陽通り)」の脚本でドイツ脚本賞、2005年カール・ツックマイヤー賞、2012年ドイツコメディ賞など、さまざまな賞を受賞している。

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