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ドイツ文学と映画

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ドイツ文学と映画

著者名
山本佳樹 責任編集 / 市川 明 編集 / 香月恵里 編集 / 増本浩子 編集 / 山本 潤 執筆 / 西尾宇広 執筆 / 山本賀代 執筆 / 竹田和子 執筆 / 川島 隆 執筆 / 満留伸一郎 執筆 / 渋谷哲也 執筆 / 依岡隆児 執筆 / 宮崎麻子 執筆 / 中込啓子 執筆 / 松永美穂 執筆
判型
A5判/並製
ページ数
416ページ
ISBN
978-4-384-06072-0 C0098
初版年月日
2024/11/30
定価
3,850円 (本体 3,500円+税)
ジャンル
専門書・研究書 > 文学

ドイツ文学と映画の関係を、アダプテーション研究の視点から深く読み解く一冊。映画監督たちは、文学作品にどのように向き合い、それを映像として表現したのかを検討。『ニーベルンゲン』や『ファウスト』、『ベニスに死す』、『変身』、『ブリキの太鼓』、『愛を読むひと』など、ドイツ語圏の名作を厳選し、その映画化作品を分析します。

目次

はしがき

『ニーベルンゲンの歌』(13世紀初頭)
同時代的神話の創造
フリッツ・ラング監督『ニーベルンゲン』(1924):中世英雄叙事詩の戦間期におけるアダプテーション
山本 潤

ハインリヒ・フォン・クライスト『О侯爵夫人』(1808/10)
眼に映る天使と見えない悪魔
エリック・ロメール監督『О侯爵夫人』(1976)における性暴力と公共圏
西尾宇広

ヨーハン・ヴォルフガング・ゲーテ『ファウスト』(1808/1832)
権力者ファウストの物語
アレクサンドル・ソクーロフ監督『ファウスト』(2011)
山本賀代

ゲオルク・ビューヒナー『ヴォイツェク』(1836執筆)
貧しい民衆のドラマ
ヴェルナー・ヘルツォーク監督『ヴォイツェク』(1979)
市川 明

テオドーア・フォンターネ『エフィ・ブリースト』(1894)
プロイセン社会の硬直性を描く
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督『フォンターネ エフィ・ブリースト』(1974)
竹田和子

トーマス・マン『ヴェネツィアに死す』(1912)
海辺の写真機
ルキノ・ヴィスコンティ監督『ベニスに死す』(1971)
山本佳樹

フランツ・カフカ『変身』(1912執筆)
演劇と映画のあいだで「虫けら」を表現する
ヴァレーリー・フォーキン監督『変身』(2002)
川島 隆

アルトゥア・シュニッツラー『夢小説』(1925)
機械のまなざしが顔に出会うとき
スタンリー・キューブリック監督『アイズ・ワイド・シャット』(1999)
満留伸一郎

ベルトルト・ブレヒト/クルト・ヴァイル『三文オペラ』(1928)
音楽劇『三文オペラ』の映画化
ゲオルク・ヴィルへルム・パプスト監督『3文オペラ』(1931)
市川 明

アルフレート・デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』(1929)
ファスビンダーにおける文学映画化の特殊性
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督『ベルリン・アレクサンダー広場』(1979-80)を例に
渋谷哲也

エーリヒ・ケストナー『エーミールと探偵たち』(1929)ほか
映画化とリメイクの力学
ケストナー児童文学の映画化にみる社会学
山本佳樹

アンナ・ゼーガース『トランジット』(1944)
トランジット空間に生きる人々
クリスティアン・ペツォルト監督『未来を乗り換えた男』(2018)
香月恵里

フリードリヒ・デュレンマット『老貴婦人の訪問』(1956)
アフリカ版『老貴婦人の訪問』
ジブリル・ジオップ・マンベティ監督『ハイエナ』(1992)
増本浩子

ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』(1959)
オスカルはなぜ子どものまま、成長しなかったのか?
フォルカー・シュレンドルフ監督『ブリキの太鼓』(1979):文学と映画の対話
依岡隆児

クリスタ・ヴォルフ『引き裂かれた空』(1963)
分断が消滅する映像的瞬間
コンラート・ヴォルフ監督『引き裂かれた空』(1964)
宮崎麻子

ペーター・ハントケ『不安 ペナルティキックを受けるゴールキーパーの……』(1970)
ブロッホは何を見たか
ヴィム・ヴェンダース監督『ゴールキーパーの不安』(1972)
山本佳樹


エルフリーデ・イェリネク『ピアニスト』(1983)
ピアノ教授に一本の赤い薔薇は手渡されない
ミヒャエル・ハネケ監督『ピアニスト』(2001)
中込啓子

パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』(1985)
嗅覚を視覚化する試み
トム・ティクヴァ監督『パフューム ある人殺しの物語』(2006)
増本浩子

ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(1995)
ミヒャエルは「愛」を読んだのか?
スティーヴン・ダルドリー監督『愛を読むひと』(2009)
松永美穂

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著者紹介

山本 佳樹(ヤマモト ヨシキ)
*はしがき、第6章、第11章、第16章
大阪大学大学院人文学研究科教授。共著書に『交錯する映画―アニメ、映画、文学』(ミネルヴァ書房、2013)、『映画とジェンダー/エスニシティ』(ミネルヴァ書房、2019)、訳書にザビーネ・ハーケ『ドイツ映画』(鳥影社、2010)、ゼバスティアン・ハイドゥシュケ『東ドイツ映画―デーファと映画史』(鳥影社、2018)、共訳書にクラウス・クライマイアー『ウーファ物語(ストーリー)―ある映画コンツェルンの歴史』(鳥影社、2005)などがある。
市川 明(イチカワ アキラ)
*第4章、第9章
大阪大学名誉教授。編著書に『ブレヒト 詩とソング』(花伝社、2008)、『ブレヒト 音楽と舞台』(花伝社、2009)、共著書に『ナチスと闘った劇場―精神的国土防衛とチューリヒ劇場の「伝説」』(春風社、2021)、訳書にマックス・フリッシュ『アンドラ』(松本工房、2018)、共訳書にフォルカー・ブラウン『本当の望み』(三修社、2002)などがある。2024年1月逝去。
香月 恵里(カツキ エリ)
*第12章
岡山商科大学経営学部教授。共著書に『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』(大月書店、2023)、訳書にイェルク・フリードリヒ『ドイツを焼いた戦略爆撃1940-1945』(みすず書房、2011)、ベッティーナ・シュタングネト『エルサレム〈以前〉のアイヒマン』(みすず書房、2021)、共訳書に『デュレンマット戯曲集 第一巻』(鳥影社、2012)、『デュレンマット戯曲集 第三巻』(鳥影社、2015)などがある。
増本 浩子(マスモト ヒロコ)
*第13章、第18章
神戸大学大学院人文学研究科教授。著書に『フリードリヒ・デュレンマットの喜劇』(三修社、2003)、訳書にフリードリヒ・デュレンマット『失脚/巫女の死』(光文社古典新訳文庫、2012)、フリードリヒ・デュレンマット『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む』(白水社、2017)、共訳書にミハイル・ブルガーコフ『犬の心臓・運命の卵』(新潮社文庫、2015)、ダニイル・ハルムス『ハルムスの世界』(白水社、2023)などがある。
山本 潤(ヤマモト ジュン)
*第1章
東京大学大学院人文社会系研究科准教授。著書に『記憶の変容―『ニーベルンゲンの歌』と『哀歌』に見る口承文芸と書記文芸の交差』(多賀出版、2015)、共著書に『カタストロフィと人文学』(勁草書房、2014)、『固有名の詩学』(法政大学出版局、2019)、『モルブス・アウストリアクス』(法政大学出版局、2023)などがある。
西尾 宇広(ニシオ タカヒロ)
*第2章
慶應義塾大学文学部准教授。共編著書に『ハインリッヒ・フォン・クライスト――「政治的なるもの」をめぐる文学』(インスクリプト、2020)、共著書に『ドイツ語圏のコスモポリタニズム――「よそもの」たちの系譜』(共和国、2023)、共訳論文にヴェルナー・ハーマッハー「《共に》について/から離れて――ジャン=リュック・ナンシーにおける複数の変異と沈黙」(『多様体』第2号、2020)などがある。
山本 賀代(ヤマモト カヨ)
*第3章
慶應義塾大学経済学部教授。共著書に『晩年のスタイル――老いを書く、老いて書く』(松籟社、2020)、論文に「『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』の改作過程――作品構成の改編作業に注目して」(『藝文研究』第125号、2023)、共訳書にヨッヘン・クラウス『シャルロッテ・フォン・シュタイン――ゲーテと親しかった女性』(鳥影社、2006)などがある。
竹田 和子(タケダ カズコ)
*第5章
大阪音楽大学短期大学部教授。編著書に『時代を映す鏡としての雑誌――18世紀から20世紀の女性・家庭雑誌に現れた時代の精神を辿る』(日本独文学会研究叢書 第124号、2017)、論文に「フォンターネと『ドイチェ・ルントシャウ』――19世紀後半の雑誌文化に関する考察」(『ドイツ文学論攷』第46号、2004)、「E. マルリット作品に描かれた「家」の崩壊とその社会的背景――『商業顧問官の家』と『石榴石の髪飾りの女』を中心に」(『ドイツ文学論攷』第61号、2019)などがある。
川島 隆(カワシマ タカシ)
*第7章
京都大学大学院文学研究科教授。著書に『カフカの〈中国〉と同時代言説』(彩流社、2010)、『カフカ 変身――「弱さ」という巨大な力(「100分de名著」ブックス)』(NHK出版、2024)、共著書に『図説 アルプスの少女ハイジ』(河出書房新社、2022)、訳書にカフカ『変身』(角川文庫、2022)、共訳書に『ポケットマスターピース01 カフカ』(集英社文庫、2015)などがある。
満留 伸一郎(ミツドメ シンイチロウ)
*第8章
東京藝術大学、横浜国立大学等非常勤講師。著書に『散文へのプロセス』(Dの3行目、2021)、訳書にヴォルフガング・ウルリヒ『不鮮明の歴史』(ブリュッケ、2006)、ヴォルフガング・ウルリヒ『芸術とむきあう方法』(ブリュッケ、2008)、共訳書に『ムージル伝記』(法政大学出版局、2012/2015)などがある。
渋谷 哲也(シブタニ テツヤ)
*第10章
日本大学文理学部教授。著書に『ドイツ映画零年』(共和国、2015)、編著書に『ストローブ=ユイレ―シネマの絶対に向けて』(森話社、2018)、共編著書に『ファスビンダー』(現代思潮新社、2005)、『ナチス映画論―ヒトラー・キッチュ・現代』(森話社、2019)、訳書にライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『ブレーメンの自由』(論創社、2005)、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『ゴミ、都市そして死』(論創社、2006)などがある。
依岡 隆児(ヨリオカ リュウジ)
*第14章
徳島大学総合科学部教授。著書に『ギュンター・グラスの世界―その内省的な語りを中心に』(鳥影社、2007)、『ギュンター・グラス―「渦中」の文学者』(集英社、2013)、論文に、Günter Grass nach der Wende: Zu seinem Schatten-Motiv (Neue Beiträge zur Germanistik, 139, 2009)、「日独文学にみる『核』の表象についての比較考察」(『比較文化研究』第124号、2016)、訳書にギュンター・グラス『玉ねぎの皮をむきながら』(集英社、2008)などがある。
宮崎 麻子(ミヤザキ アサコ)
立教大学文学部准教授。著書にBrüche in der Geschichtserzählung. Erinnerung an die DDR in der Post-DDR-Literatur (Königshausen & Neumann, 2013)、共編著書に『ドイツ文化事典』(丸善出版、2020)、論文に「文学における東ドイツの想起の語り―アイデンティティの政治とは別のところへ」(『ドイツ研究』第55号、2021年)などがある。
中込 啓子(ナカゴメ ケイコ)
*第17章
大東文化大学名誉教授。著書に『ジェンダーと文学―イェリネク、ヴォルフ、バッハマンのまなざし』(鳥影社、1996)、訳書にクリスタ・ヴォルフ『カッサンドラ』(恒文社、1997)、エルフリーデ・イェリネク『死と乙女 プリンセスたちのドラマ』(鳥影社、2009)、エルフリーデ・イェリネク『ピアニスト(新訳版)』(鳥影社、2021)、共訳書にエルフリーデ・イェリネク『したい気分』(鳥影社、2004)、エルフリーデ・イェリネク『死者の子供たち』(鳥影社、2011)などがある。
松永 美穂(マツナガ ミホ)
*第19章
早稲田大学文学学術院教授、翻訳家。訳書にベルンハルト・シュリンク『朗読者』(新潮社、2003)、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下で』(光文社古典新訳文庫、2007)、インゲボルク・バッハマン『三十歳』(岩波文庫、2016)、マルレーン・ハウスホーファー『人殺しは夕方やってきた』(書肆侃侃房、2024)などがある。