1978年、かの大著『ソシュールの思想』を世に問う前夜、丸山圭三郎は、家族を伴いパリに一年間暮らした。
パリで一服の解放感を味わう夫と、現地でことばを覚え、とまどいながらもフランスにとけこんでゆく娘。その生き生きとした姿を、当時のパリの空気とともに、妻であり母親の視点から描く。
---そして娘は字幕翻訳者への道を選ぶ。
(まえがきより)
1978年、夫・丸山圭三郎は勤務中の大学から一年間の在外研究休暇を得てフランスへ行くことを決めていた。パリに住みつつスイスのジュネーヴ大学に通ってソシュール学の泰斗ロベール・ゴデル教授に師事し資料を収集研究するのが主な目的だった。
パリでの一年間の休暇は私たち家族に思いがけない自由な時間をもたらしてくれた。日本ではありえなかった、家族で買い物、あるいは学校の父母会に行く、映画を観る、などという些細な日常を共にすることができた。自宅と大学を行き来する毎日でスーパーなどに足を踏み入れたこともなかった夫が、朝市のおじさんたちと楽しそうにおしゃべりをする姿は解放感に溢れていて、この人は心底フランスが好きなのだと思った。
大学ではフランス語フランス文学専攻、後に言語哲学研究の道に進んだ夫にとってもフランスに住むのは初めての経験で実りの多い滞在だったのではないだろうか。帰国後『ソシュールの思想』『フランス語とフランス人気質』『文化のフェティシズム』『言葉と無意識』などの書物を上梓した。
一方当時15歳の娘(垂穂)は中学を卒業したばかりで、無謀にもパリの全寮制中高一貫校に入学してフランス語を一から学び始めた。しかし現実は想像以上に厳しかったようで先生や生徒たちと全く意思の疎通ができず授業中に泣いていたこともあったらしい。
この一年間は娘にとって大きな試練であったが、同時に異文化を学ぶ場となり、後にライフワークとなるフランス映画字幕翻訳者としての第一歩を踏み出すきっかけを与えてくれたといえよう。
パリ生活から40年後の私たちの暮らしを併せてお届けできたらと思っている。
● パリの日々 1978-1979
街角のクレープ
パリは本当に花の都?
グラス医師の往診
朝市の商人たち
向こう三軒両隣り
娘の学校---サン・ジョゼフ学院
シャルトルへ ---フランス人の「田舎の家」
ブルターニュ・キャンプ便り
エックス・アン・プロヴァンスへの旅 ---ムーナン教授の思い出
パリの日本食
私のせいではない
「高倉健はアラン・ドロンよりいい男」
ミンクのコート
パリのレストラン
お世辞と笑顔とチップ
失われてゆく本物の味
大晦日の出来事
未知の客からの贈り物
フランス人の胃袋
「違う」ことの楽しみ
● 丸山家のレシピ
● パリの日々、その後 2020
・拝啓 高倉健様
・往復書簡
・コンピューターおばあちゃん
・インタビュー「字幕翻訳者のプロローグ」(聞き手・丸山有美)
『街角のクレープ』の頃 / 父・丸山圭三郎の思い出 / 字幕翻訳者になるまで
・時を紡いで
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