本日はこんな遅い時間に……普通の方だったら地下のビアホールに行ってると思うんですけれども、わたしの話を聴きにおいでくださいまして、まことにどうもありがとうございます。今日はですね、三修社から出しました『ぼくたちの英語』の記念で、話をいたします。テーマは「ことばへの異常な愛情」と付いておりますけれども、初めに二つ。まずこの本は、わたしが何か、英語に対して意見を言いたいとかそういうのではなくて、二人の登場人物であるC君とP君に喜んでもらいたいなと思って書いたエッセイです。だからそういうところで大上段に構えたつもりはまったくないんですね。……この先もうしばらく英語の本は書きたくないなと思ってるんですけれども、とにかくそういうつもりで書きました。で、もうひとつはですね、後半に挙げたテーマ、「私は如何にして大学を辞めて語学するようになったか」というテーマですけど、多くの人が、わたしが大学を辞めた!という真相を知りたがる傾向があります。ですが、あまり直接的な話は語弊を招く恐れがありますし、多くの関係者がご存命中ですし、わたし自身がいろいろ問題を起こすと困ります。に加えまして、自分でもよくわかっていない所もありますんでね。で、一言。前の職場とはうまくやっておりまして、人間関係が今でも続いていまして。先日も12月に前の職場の忘年会に呼ばれまして、呼ぶほうも呼ぶほうですけど、まあ行ってきたんですけどね。明日も前の職場のドイツ語の先生が、なんか「飲み会を」とか言うんで新宿で飲む予定ですし。だから何かその、喧嘩をしてぶち切れるようにして辞めたとかそういうのではないんですね。でもまあ辞めちゃって、こんなことをやってまして。で、じゃあこれまで何だったのかなあと、わたくしのつまらない人生を振り返ってみようというふうに考えたわけなんです。
わたしの経歴と申しますと、理工系大学で元先生をやっていまして、ロシア語を9年、英語を4年教えた経験があって、それ以外に言語学の先生をやって、さらには国語の教科書とか入試問題のネタを提供したりですね。あとはテレビとかラジオのロシア語講座の講師をやったりとか。他にもスラブ語の学者ということになってまして、まあこれが一番弱いんですけれども。それ以外にも語学書の書評をやって。
……厚かましいですよねぇ、わけもわからない語学のことの書評を書いたりしてまして。で、さらに最近多いのは語学エッセイストみたいなことをやっています。
いずれせよ言語と関係のある仕事を常に、必ずやってきた。それしかやってこなかった、それしかできなかった、というふうに思います。
ここから振り返るんですけれどもね、まあメモするような話は何もないんですけれどもね。高校時代までのことを思い返しますと、子供の頃はどんな子だったかというと、はずれた子でした。なんかみんなに合わせたいのに、あんまり合せられない子だったような気がしますね。でもことばは好きでしたし、外国語が好きだったですね。読めなくても、家に外国語の絵本をいっぱい置いときたい、という感じでしたから。まあ家にわりと本が多かったんで、そういうふうになったのかもしれませんけれどもね。
語学だと、具体的に言えば英語に初めて触れたのが小学校6年生の時で。ラジオ講座を聴いていましたね。ロシア語は中3なんですけどね。この二つに共通しているのは、実は一番初めからではなくて、なんとなく5月ぐらいから聴き始めました。 4月分はしょうがないのでテキストを買ってきて自分でやったりして。ロシア語も初めの方は少しとばしてしまってからテレビを見るようになったんですが。
つまり共通するのは、初めからきちんと学んだという感じではなくて、途中から始まって、だからいろいろ抜けているところがあって、それを埋めていく、というようなことが多かったのかなと思います。これは、わたしがやっていることばって全部そうです。なんとなくきちんとしていなくて抜けている所もあるんだけど、続けて行く。 途中から始まって、途中で終わるのかもしれませんけれども、そういうのが多いなと思います。
で、高校の時からよせばいいのにロシア語の講習会に通っていました。高校1年の秋から1年半くらい通いましたね。その後、わりと厳しかったロシア語の専門学校に3年生の4月から、まず3ヶ月通ったんですね。代々木にある学校なんですけどね。そこではロシア語をとても厳しく躾けられて、いい所まで行ったんですが、 さすがに高校3年でしたから「いつまでもロシア語をやっていちゃいけない、大学受験しなきゃいけない」と思って。それで先生に「休ませてください」と言ったら、 「わかりました。けれど入試が終わったらまたすぐ戻ってらっしゃい」と言われたんです。僕はその通り入試をやって、あちこち駄目だったんですけど、ひとつ親切な大学が僕を拾ってくれまして、それは池袋にある大学なんですが、そこに決まって。 その大学から専門学校に電話をかけて「先生、大学決まりました!」って言ったら 「じゃあこれから来なさい」と。もうその日からロシア語ですよ(笑)。行くわたしもわたしですけど、先生も凄いですよねぇ。まあそれくらいロシア語をやりたかったんですね。そこでなぜロシア語だったかというと、まあこれはあとで考えたいんですけ どね。とにかくまずわたしが大学に入った頃から考えましょう。
一番初めの2年間は池袋の大学の文学部史学科に行って、西洋史をやろうと思っていました。もちろんロシア史がよかったんですけど、西洋史をやろうかなと。実はのちに言語を専門とするようになってからも歴史に非常に興味がありまして、それはこの頃に培われたものだと思います。
ここはとてもいい大学でした。特に教養科目が非常に充実していまして、とても気に入っていました。友達もでき、楽しく大学生活をエンジョイしていたんですけど、それでもやっぱりロシア語をやりたいなと思い、編入することを決意し、池袋の大学を中退することにしてしまいました。中退してどうするかというと、四谷にある大学が編入学を受け入れてくれるというので、そこを受けることにしました。
この大学は3年次編入で、いろいろ聞いてみたら何でもいいから28単位取っていれば受験資格があるというので、それじゃあということで受けたらなんとかひっかかりました。2次面接の時に、当時ロシア語学科スタッフの先生全員に質問攻めにされて、「おまえは出来が悪いから2年生からだったら入れてやる」と言われて、「ありがとうございます、2年生で結構です」と。2年次編入になりました。これはとてもいいことでした。もともと厚かましい性格だったので、大学にしては珍しい「転校生」だったんですけど、あっという間に慣れて、たいへん良い3年間を過ごすことになりました。
僕にとってはロシア語を専門にできるというのが本当に嬉しくて。そこに入って初めてロシア人の先生に習いました。それまでロシア人と口をきいたこともありませんでしたから。2年生くらいになってくるとみんなネイティブの授業が苦痛でしょうがなく、なるべく避けたいのかもしれませんけど、僕はロシア人と話せるだけで嬉しかったです。かつては歴史をやりながらでしたからいろいろ忙しかったんですけど、「もうロシア語だけやってればいいんだ」と、とても楽で嬉しかったです。
当時はたいへん好景気で。僕は勉強をしたかったんですけれども、卒業して大学院に行くなんて考えてるのは僕だけでした。これは友達に隠していたんですけれども、大学3年生の終わりの時に、就職説明会がロシア語学科であって、そこに僕以外全員集まっていたんですね。そこで「おまえ就職する気ないだろ」というのがみんなにばれてしまいました。
僕は四谷の大学の大学院に行こうと思って、いろんな人からアドバイスをもらいました。「他に行くのは大変だから、このまま上に上がった方がいいよ」と先輩から言われたんですね。ところが先生方から直接間接に「頼むから出てってくれ。君のやりたい事はここにはないよ」と言われて(笑)。まあ「君を入れたくない」と言ってるんだろうなと思って、じゃあ他に行こうと決めたんです。
どこかないかなと思っていたら、じゃあ本郷の大学に行こうと。ところが四谷の大学からいきなり本郷の大学院に行くのは無理だと言われて。それなら学部に編入しようと。四谷の大学で4年生が終わったあとに本郷の大学の3年生に編入することになりました。
入ってみたら他の人と実力的にそんなに差があるかなあと思ったんです。まあ小さい学科でしたから院生も学部生もほとんど一緒に勉強したりするわけですが、そんなに差があるとは思えなくて。どうしようかなあと悩んでいたら、先生から「大学院受けちゃえば?」と言われたんです。そんな事していいんですか、と訊いたら、「だって四谷の大学卒業してるでしょ?大学院を受ける資格はあるから。受ければ?」と。それで受けたら受かっちゃいました。ということで編入した3年生を途中で切り上げて、大学院生になってしまうわけです。