三修社 SANSHUSHA

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ドイツサッカーを10倍楽しむ②

更新日:2018.09.27


「歴史」で楽しむ 


ドイツサッカー「用語」のはじま1875

 



 サッカーの母国はイングランドだと言われますが、イングランドサッカー協会で最初の競技規則がまとめられたのは1863 年のことです。では、ドイツではいつ頃、どのようにしてサッカーが広まったのでしょうか。ドイツサッカーの父と呼ばれる人物がいます。ブラウンシュヴァイクのギムナジウム(高等学校)の英語教師だったコンラート・コッホ(1846-1911)です。イングランドから帰国したコッホは、1874 年に生徒にサッカーを教え、翌年には自ら競技規則をまとめました。これがドイツサッカーの始まりとされています。



 現在、私たちが耳にするドイツのサッカー用語の多くはコッホの功績によるものです。コッホは、子供たちに言葉を根づかせたいなら、正しい翻訳だけでは不十分だと考えました。「色のない」(farblos)いかにも作り出した語ではなく、「力をもって」(voll und
kräftig
)耳に届く言葉でなければならないと考えたのです。例えば、goalという英語をそのまま外来語として導入することを、コッホはよしとしませんでした。一方、ドイツ語には得点を指して使われる語にMalがありますが、コッホはこれも弱い、と考え、最終的にTor(門)を提案します。このような事情を踏まえると、現在のToooor! という表現には、確かに私たちの心に響く何かがある気がします。



 いわゆるサッカー用語は、大きく、狭い意味での専門語と、主に話し言葉で用いられる特殊な言い回しに分けることができます。前者には例えば、ルールに関するもの、プレーに関するもの、ポジションに関するもの、戦術に関するものなどがあります。一方、後者には、選手同士やファンの間で用いられる言い回しがあるほか、メディアによってもさまざまな表現が生み出されています。Fußballgott(サッカーの神様)などはちょっと洒落ていると思いませんか? これらサッカー用語の紹介が、本書のいわば肝となる部分です。ドイツサッカーとドイツ語の奥深さを楽しんでいただければと思います。



 



~   ~   ~



ベルンの奇跡(Wunder von Bern               1954



  映画にもなった1954年の「奇跡」を知らないドイツ人はいない。この年のワールドカップ・スイス大会、ドイツは1次リーグで優勝候補のハンガリーに38という大差で敗れたものの、グループ2位で決勝トーナメントに進出。その後順調に勝ち進み、決勝で再びハンガリーと対戦することになった。



 地力に勝るハンガリーは試合開始わずか8分で20とドイツをリード。試合は1次リーグと同じく一方的な展開になるかと思われた。しかしながらドイツはその後粘りを見せ、10分にモルロック、18分にラーンがゴールを決め、試合を振り出しに戻す。そして84分再びラーンの決勝ゴールによりドイツはワールドカップ初優勝を成し遂げた。当時ラジオ中継を担当したヘルベルト・ツィマーマンのコメント »Rahn schießt, Tor, Tor, Tor, Tor für Deutschland!«(ラーンがシュート、ゴール、ゴール、ゴール、ドイツ、ゴールです!)や »Aus! Aus! Aus! Das Spiel ist aus! Deutschland ist Weltmeister!«(終了! 終了! 終了! 試合終了です! ドイツ、世界チャンピオンです!)などは、今なお名ぜりふとして語り継がれる。このドイツチームの勝利は戦後のドイツ社会を勇気づける明るいニュースとなった。



 



ウェンブリー・ゴール(Wembley-Tor 19662018



  1966年ワールドカップ・イングランド大会の決勝会場となったウェンブリー・スタジアムで、延長戦にイングランドが西ドイツに対し決めた決勝ゴールのこと。



 Klassiker(伝統の一戦)と呼ばれるドイツとイングランドの対戦の歴史の中でも、とりわけ伝説となっている一戦がある。1966年ワールドカップ・イングランド大会決勝、ウェンブリー・スタジアムで行われたイングランド対西ドイツ戦である。21とリードされた西ドイツは、試合終了間際の89分、フリーキックの混戦からヴォルフガング・ヴェーバーが劇的な同点ゴールを決める。試合は振り出しに戻り、そのままワールドカップ決勝初の延長戦へともつれ込んだ。そしてその後あまりに有名な「ウェンブリー・ゴール」がもたらされることになる。地元イングランドのジェフ・ハーストが101分に放ったシュートはバーを直撃。ボールは真下に落下した。そのときのドイツのゴールキーパーはハンス・ティルコフスキ。主審は線審と協議の結果、ゴールと認定。試合はハーストがその後120分にハットトリックを達成し、結局イングランドが42で勝利。ワールドカップ初制覇となった。



 なお、現在ではこの話に後日談がある。2010年ワールドカップ南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦でドイツとイングランドが対戦、イングランドのフランク・ランパードが放ったシュートがバーに当たり、ボールは明らかにゴールラインを越えたが、得点が認められなかった。ドイツのゴールキーパーはマヌエル・ノイアー。メディアでは、Wembley-Tor reloaded(ウェンブリー・ゴール・リローデッド)、Rache
für Wembley
(ウェンブリーの復讐)などと報じられた。



 その後のワールドカップでは、2014年大会でゴールラインテクノロジーが、2018年大会でビデオ副審が導入された。「ウェンブリー」のような伝説は生まれにくくなるのかもしれない。



 



 



ヒホンの恥(Schande von Gijón            19822018



  1982年ワールドカップ・スペイン大会において、西ドイツとオーストリアがヒホンで行った無気力試合のこと。



 1次リーグ最終戦、西ドイツはヒホンでオーストリアと対戦。2点差以内で西ドイツが勝利すれば、前日のうちに試合を終えていたアルジェリアを抑え、ドイツ、オーストリアともに次のラウンドに進むことができるという状況だった。試合は前半10分、西ドイツのホルスト・ルベッシュがゴールを決め、序盤の早い段階で10という展開に。すると、両チームの選手とも積極的に攻めることをやめ、そのまま試合はタイムアップ。歴史に残る不名誉な試合となった。なお、国際試合のグループリーグ最終戦はその後同時刻に開催されるようになった。



 時は流れ2014年ブラジル大会。グループリーグ最終戦のドイツ対アメリカが、試合を前に似たような状況となり、メディアでは盛んに「ヒホン」という言葉が用いられた。そのグループリーグを首位で突破したドイツが、決勝トーナメント1回戦で対戦することになったのは、くしくも1982年に苦杯をなめたアルジェリアだった。アルジェリアにとってリベンジとなったこの試合は結局ドイツが勝利。その後、フランス、ブラジル、アルゼンチンを破ったドイツが優勝した。ちなみにその時アルジェリアを率いていたのは、後の日本代表監督ヴァヒド・ハリルホジッチである。ドイツ代表を延長戦まで追い詰めた試合はサッカーファンの記憶に残るものとなった。



 続く2018年ロシア大会。そのハリルホジッチ監督を解任し、西野朗新監督のもと大会に臨んだ日本代表だが、ポーランド戦終盤で、試合に負けていたにもかかわらず時間を使うことを選択、賛否両論があった。皮肉なことに「フェアプレー」ポイントでベスト16に進んだ日本に対し、ドイツメディアでは、再び「ヒホンの恥」が引き合いに出された。



 



■ことば■

Wunder 奇跡

ヴんだー

Klassiker 伝統の一戦

くらすぃかー

Rache 復讐

らっへ

Schande 恥

しゃんで




■本■

サッカーを楽しむドイツ語

大薗正彦・著/三修社・刊


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