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いつもおなじ雪といつもおなじおじさん
ヘルタ・ミュラー エッセイ集

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いつもおなじ雪といつもおなじおじさん
ヘルタ・ミュラー エッセイ集

著者名
ヘルタ・ミュラー 著 / 新本史斉
判型
四六判/並製
ページ数
348ページ
ISBN
978-4-384-06028-7 C0097
初版年月日
2025/02/28
定価
3,630円 (本体 3,300円+税)
ジャンル
文芸 > 紀行・エッセイ

ノーベル文学賞受賞作家、ヘルタ・ミュラーの世界に踏み入るための入口 


生の経験と虚構作品の「あいだ」にある、架橋しがたい関係の機微と知と情から練り上げられた魅力を垣間みる珠玉のエッセイ集


本書に所収されたエッセイは、ヘルタ・ミュラーの父母、祖父母から、詩人オスカー・パスティオールを経て、作家ユルゲン・フックス、詩人テオドール・クラーマー、歌手マリア・タナセにいたるまで、いずれも一つもしくは二つの全体主義の刻印を受けた人びとの生を描いたテクストということができるだろう。[……]

 ヘルタ・ミュラーの長編小説を読み解くためのサブ・テクストとして、また、彼女ならではの創作論、読書論、歌唱論として読んでいただければ幸いである。ヘルタ・ミュラーのドイツ語は、手でつかめそうなほどに具象的でありながら、個別の事例を越えて普遍へいたるような高度な抽象性を備えている。短く簡潔でありながら、背後に深い経験、広い世界を感じさせる。[……]〈もの〉そのものにひとつひとつの生の経験、さらには歴史経験を語らせるような、凝縮度の高いドイツ語原文での語りを実現すべく、翻訳に際しては意味のみならず、言葉の響きに配慮することを心がけた。ヘルタ・ミュラーはことあるごとに「わたしは言葉を信じていない」と記す、きわめて注意深い書き手である。しかしながら、そう書いている彼女の文章は、読み手のうちに疑いなく言葉への信頼をもたらしてくれる。

(「訳者あとがき」より)

目次

もくじ

どんな言葉も悪魔じみた回帰に無縁ではいられない
テーブルスピーチ
いらないことは考えないこと
   時代批判文学に贈られるホフマン・フォン・ファラスレーベン賞への謝辞
クリスティーナとそのまがいもの、
   あるいは秘密警察の記録文書に載っていること/いないこと
ラレレ、ラレレ、ラレレ、
   あるいは生は美しいのかもしれない、無に等しいほどに
図体はこんなに大きく、モーターはこんなに小さい
いつもおなじ雪といつもおなじおじさん
細い通りをたどること
トウモロコシは黄金色、時間がない
誰かがしかし姿を消すと、小犬がしかし泡からそびえたつ
   オスカー・パスティオールのありきたりではないありきたり
なのに、ずっと黙っていた
   オスカー・パスティオールと「石のオットー」
人はつかみかかってくるものを見ようとする
   カネッティの「群衆」とカネッティの「権力」
どんな物もそれが在る場所を占めなければならないこと、
 わたしがそうであるところの者でなければならないこと
   M・ブレケル『すぐそばにある、ありそうにない現実から』
水たまりのほとりではどの猫も違った跳ね方をする
小さな停車駅のまなざし
   ユルゲン・フックスにおける記憶の方眼紙
わたしの身体がわたしを見捨てるとき
   E・M・シオランの死に寄せて
不安は眠りにつくことができない
   テオドール・クラーマーの詩に寄せて
「世界、世界、わが愛しき世界」わたしが唄うのを聴く人は、あたまが空っぽと思いこむ
   マリア・タナセと彼女の歌


初出一覧
訳者あとがき

読者レビュー

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著者紹介

ヘルタ・ ミュラー(ヘルタ ミュラー)
Herta Müller
1953年、ルーマニア・バナート地方、ニッキードルフにドイツ人マイノリティとして生まれる。作品は50以上の言語に翻訳され、日本語訳には、短編集『澱み』(山本浩司訳、2010年)、長編小説『狙われたキツネ』(山本浩司訳、1992年/2009年新装版)、『息のブランコ』(山本浩司訳、2011年)、『心獣』(小黒康正訳、2014年)、『呼び出し』(小黒康正・高村俊典訳、2022年)がある(いずれも三修社より刊行)。1987年にルーマニアからベルリンに移住。クライスト賞(1994年)、ノーベル文学賞(2009年)など多数の文学賞を受賞。近年の受賞に、「理解・寛容賞」(ベルリン・ユダヤ博物館、2022年)、「国際かけはし賞」(ヨーロッパ都市ゲルリッツ/ズゴジェレツ、2022年)などがある。ここ数年はコラージュ作品を精力的に刊行するとともに、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエル・ガザ紛争について論評を発表するなど、全体主義体制に対する仮借ない批判を続けている。
新本 史斉(ニイモト フミナリ)
1964年、広島県に生まれる。明治大学教授。専門はドイツ語圏近現代文学、翻訳論、ヨーロッパ越境文学。著書に『微笑む言葉、舞い落ちる散文––––ローベルト・ヴァルザー論』(鳥影社、2020年)、『ドイツ語圏のコスモポリタニズム––––「よそもの」たちの系譜』(共著、共和国、2023年)、訳書に『ローベルト・ヴァルザー作品集1 タンナー兄弟姉妹』(共訳、鳥影社、2010年)、谷川俊太郎/ユルク・ハルター『48時間の詩/Das 48-Stunden-Gedicht: Ein Kettengedicht』(共訳、Wallstein、2016年)、イルマ・ラクーザ『もっと、海を––想起のパサージュ』(鳥影社、2018年)、ソーニャ・ダノウスキー『スモンスモン』(岩波書店、2019年)、カール・ゼーリヒ『ローベルト・ヴァルザーとの散策』(白水社、2021年)などがある。