ノーベル文学賞受賞作家、ヘルタ・ミュラーの世界に踏み入るための入口
生の経験と虚構作品の「あいだ」にある、架橋しがたい関係の機微と知と情から練り上げられた魅力を垣間みる珠玉のエッセイ集
本書に所収されたエッセイは、ヘルタ・ミュラーの父母、祖父母から、詩人オスカー・パスティオールを経て、作家ユルゲン・フックス、詩人テオドール・クラーマー、歌手マリア・タナセにいたるまで、いずれも一つもしくは二つの全体主義の刻印を受けた人びとの生を描いたテクストということができるだろう。[……]
ヘルタ・ミュラーの長編小説を読み解くためのサブ・テクストとして、また、彼女ならではの創作論、読書論、歌唱論として読んでいただければ幸いである。ヘルタ・ミュラーのドイツ語は、手でつかめそうなほどに具象的でありながら、個別の事例を越えて普遍へいたるような高度な抽象性を備えている。短く簡潔でありながら、背後に深い経験、広い世界を感じさせる。[……]〈もの〉そのものにひとつひとつの生の経験、さらには歴史経験を語らせるような、凝縮度の高いドイツ語原文での語りを実現すべく、翻訳に際しては意味のみならず、言葉の響きに配慮することを心がけた。ヘルタ・ミュラーはことあるごとに「わたしは言葉を信じていない」と記す、きわめて注意深い書き手である。しかしながら、そう書いている彼女の文章は、読み手のうちに疑いなく言葉への信頼をもたらしてくれる。
(「訳者あとがき」より)
もくじ
どんな言葉も悪魔じみた回帰に無縁ではいられない
テーブルスピーチ
いらないことは考えないこと
時代批判文学に贈られるホフマン・フォン・ファラスレーベン賞への謝辞
クリスティーナとそのまがいもの、
あるいは秘密警察の記録文書に載っていること/いないこと
ラレレ、ラレレ、ラレレ、
あるいは生は美しいのかもしれない、無に等しいほどに
図体はこんなに大きく、モーターはこんなに小さい
いつもおなじ雪といつもおなじおじさん
細い通りをたどること
トウモロコシは黄金色、時間がない
誰かがしかし姿を消すと、小犬がしかし泡からそびえたつ
オスカー・パスティオールのありきたりではないありきたり
なのに、ずっと黙っていた
オスカー・パスティオールと「石のオットー」
人はつかみかかってくるものを見ようとする
カネッティの「群衆」とカネッティの「権力」
どんな物もそれが在る場所を占めなければならないこと、
わたしがそうであるところの者でなければならないこと
M・ブレケル『すぐそばにある、ありそうにない現実から』
水たまりのほとりではどの猫も違った跳ね方をする
小さな停車駅のまなざし
ユルゲン・フックスにおける記憶の方眼紙
わたしの身体がわたしを見捨てるとき
E・M・シオランの死に寄せて
不安は眠りにつくことができない
テオドール・クラーマーの詩に寄せて
「世界、世界、わが愛しき世界」わたしが唄うのを聴く人は、あたまが空っぽと思いこむ
マリア・タナセと彼女の歌
註
初出一覧
訳者あとがき
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