更新日:2019.04.22
幼少時代の関口存男
関口存男は、三人きょうだいでした。
姉 廣子は、女学校卒業後大阪に嫁しましたが、間もなく結核で亡くなり、
弟 忍夫は、小学生の時に不慮の死をとげます。
十代という多感な時期に身近な人の死に接していました。
展示してあります「暑中休暇日誌」は、日付と曜日から一九〇六(明治三九)年、存男十二歳の時のものと推定されます。
この日誌を書いた二年後には大阪陸軍地方幼年学校に入学、「ドイツ語班」で、「よし、おれはこいつを物にしてやる!」と決心してドイツ語に取り組みます。
ここで最初にくらいついたのが、分厚いレクラム文庫のドストエフスキーの『罪と罰』ドイツ語版でした。
娘、そして孫の死
昭子と存男
四女昭子の死が存男に与えた影響は、はかりしれないものでした。
妹の小さな命の火が消えたのはそれから間もなくでございました。泣き悲しむ私達兄弟を前にして,妹の枕辺で父は泣きながら申されました。「お父さんは,今まで世界一の学者になろうとして,ただ勉強ばかりして来た。そのお父さんに昭子は色んな事を教えてくれた。お父さんは死んだ昭子の前でお前達に誓う。お父さんは世界一の学者になると同時に世界一のお父さんになって見せるぞ,お前達も助けてくれ,これも皆んな昭子の御蔭だ。昭子は家をよくしに来てくれたのだ」流れる涙をこぶしでぬぐいながら話す父の姿は,この上なく尊いものに思われました。父は,その日から死ぬまで本当に世界一のお父さんでございました。本の虫の父が家庭的になろうとする努力はどれだけ大変な事でございましたか……母はよく「あれから仏様の様になられた」と申しましたが本当に,仏様のようで私達も父がどんなに優しくても元々お嫌いな事は,気の毒で出来なくなってしまいました。
(次女・甲斐淑子「父と母」『生涯と業績』より抜粋)
妻為子と娘充子、孫の敬子
「存在の男」展 第4弾より一部を掲載しています。
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